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わたしが初めてロンドンの地を訪れたのはおよそ30年前であるが、あるときは借家住まいやフラット、またあるときはホテル住まいやベッド.アンド.ブレックファスト(ピー.アンド.ビー)など、いろんな住まいを経験してきた。 その住まいや滞在先も、大英博物館の周辺、ウエスト.エンドのメイフェア、ケンジントン、ベイズウォーターから、ベルグレイヴィア、それに北部ではセント.ジョーンズ.ウッド、ハムステッド、ゴールダース.グリーンからヘンドン、南部ではリッチモンド、Cラパム.Cモン、それにシティなど、ほとんどロンドン全域に及んでいる。
当然その土地によって、静寂、喧騒、繁華、閑静などの違いはあるが、どこにもロンドンの顔があった。 わたしのこれまでの半生が、何らかの意味でいつもロンドンとかかわりがあったのは、わたしの専門が英文学で、詳しくいえば、ロンドン生まれの詩人、J(1795〜1812)とロマン派研究のためであるが、ただその研究のためにだけ、彼地との間を往来してきたのではない。
正直いって、わたしはロンドンという都市とかかわりを持つことによって、わたしの人生経験そのものが、単に知識の獲得だけでなく、もっと人間と社会にある本質的なものに、精神的啓示を受けてきたように思う。 かつて画家Tが、グリニッジの丘から、ロンドンの町とテムズの銀色に輝く流れを見て「煩い多い世の希望の光」と呼んだように、わたしもある晴れた日に、ハムステッドの丘に立って、この巨大な都市の遠景を眺めるとき、その壮麗な光景に感動をおぼえるのである。
いや、そんな遠景ばかりでない。 ごくありふれたロンドンの住宅地を歩いても、わたしはその美しい街並みに、思わず心がはずむのである。
この本は、わたしとロンドンとの出会いを、それこそ気の向くままに自由に書いているが、こうしたロンドンのごくありふれた街並みこそ、実は最も愛してやまぬ場所なのである。 住宅地の歩道を歩くとき、家々の前庭と歩道の間の垣根の低さには感心する。
歩行者はよその家の庭の季節の花々を賞でながら、まるで楽園にでもいるかのように、その散策を楽しむことができる。 そこには自然美を共有する市民の社会的意識が働いている。

ロンドンの有名な赤い2階バス。 これには昔からの旧型と、ワンマン型のふたつがあるが、繁華街にはいぜん旧型のバスが走っている。
あの飛び降り.飛び乗り自由のバスは、すこぶる人間的な顔を持っている。 見晴らしのよい2階座席、陽気な車掌は鼻歌をうたっている。
車内でよろけそうな老人がいると、まわりにいる何人もの人びとから手がのびる、決して1人や2人ではなく、7人も8人もの手がのびる。 こういう日常生活にある人間性を、わたしは愛してやまないのである。
ロンドンは二千年の都であり、その町にはいうまでもなく歴史が煮つまっている。 正直いって、ロンドンはパリの町ほど、合理的に美しく造られてはいない。
むろん近代以降に発展したウエスト.エンドとかその外周部には、多少合理性も見られなくはないが、ロンドンという大都市は、基本的に歴史杓発展にともなって、自然発生的に出来上がった部分が大半を占める。 そこがまたロンドンの持つ、どの都市よりも完成の域に近い。
完備した下水道、電線の地下敷設、広場と公園の占める面積比の大きさ、こうした環境整備はほとんど他の都市の追随を許さない。 歴史的な非合理性を多分に残しながら、ロンドンは合理的な都市構造を完成した。
ここにロンドンの大きな魅力があることはいうまでもない。 ロンドンはニューヨークと並んで多民族のコスモポリタン社会の一面を持つ。
さまざまな人間がいる。 その多民族が平和に共存できる社会の原則は、自由と寛容の精神だろう。
わたしはロンドンには、お茶を飲むカップを持ちながら、もう一方の手でハンドルを握っている地下鉄の運転手、口笛を吹きながら物を売る百貨店の店員…。 ロンドンの街頭には、生活を楽しむ人びとの顔がある。
ロンドンの町の大きな魅力のひとつは、緑の空間の多さである。 その自然と街並みとが、概してよく調和を保っている。

むろん人通りの激しいO街とか、その周辺の市中の街通りは、ゴミも散らばっている。 S政権時代に町の美観運動が進められ、その効果がいくらか見られるようになったが、ロンドンの中心街は率直にいって、東京ほどは清潔でないと思う。
最近のロンドン市内に林立する高層建築は、C皇太子も指摘するように、たしかに都市美を著しく害している。 わたしが美しいと思うのは、主として中心街から離れた外周部であり、実はロンドンの大半はそれによって占められている。
東京や大阪など、日本の大都市とは逆である。 東京や大阪の中心街は、近年目を見張るほど美しくなったが、その外周部はまだ旧態依然の醜悪な部分が多い。
市民の日常生活が営まれるのは、主としてこの外周部なのである。 わたしがロンドンで見出す最高のものは、日常生活の美につきるが、そこにおそらく不可避的に存在する醜悪や「世の煩い」を、ほとんど描いていないことに、不満を持たれる方がおられるかもしれない。
あるいは、わたしのロンドンの旅は、Wプロローグロンドンの魅力孤独な旅でもあることが多かったが、この本でもそれらのことを書くことは、必ず適切だとわたしのロンドンの旅は、少し大袈裟な言い方をすれば、地上の美と人間愛の発見であり、精神的な啓示の旅であったと思う。 この30年の間に、ロンドンも変わったし、今も変わりつつあるのであって、現代の都市に共通する変貌はこの町とて例外ではない。
O街における混雑はすでに限界に達している。 現在この街通りを2階構造にし、バスやクルマを階上に走らせようとのプランが検討されている。

ゴシック風の壮麗なタワー橋はすでに過去の遺物で、それの取り壊しも間近かもしれないし、大英博物館からの、大英図書館の移転はすでに進行中である。 ドーヴァー海峡のユーロトンネルの完成によって、大陸との時間的距離はいっそう縮まり、大陸との人的、物的交流はいっそう加速度的に進むにちがいな1860年代に開通した世界一古い地下鉄は、あちこちで老朽化が進んで、これの近代化は急務だとされている。
あるいは19世紀に拡張されたテムズ河の港湾施設は、今日まったく不用になり、そこはロンドンのウォーター.フロントといわれるドックランドとして再生しはじめている。 ヨーロッパでも最大規模を持つ、この民間プロジェクトは、最近の経済不況の影響をもろに被って、その象徴的事業主Kが倒産に見舞われるという、予期しない事態を招きはしたが、そこに新しいロンドンが確実に生まれつつあることは事実であろう。
と、ロンドン市は現在のドックランドよりも、いっそう東部のグレイブゼンドからロチェスター、ギリンガム、シティングボーンに至る広大な地域を、21世紀に向けて再開発する野心的な計画案を持っているという。 おそらく大陸と直接つながる鉄道網が完成すれば、いずれこの計画が実行に移されるだろう。
イギリス人に似合わず、彼がすこぶる愛想がよいのは、商売柄なのか、空いているティわたしが30年前に初めてロンドンで泊まったホテルは、ちょうど大英博物館の裏手にあった。大英博物館の周辺には、今でも大小さまざまなホテルが多いが、この30年の間に、ずいぶんあちこちのホテルに泊まった。

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